日々是「SI」~白濱洋征のつぶやき~ - SIあそびへのいざない

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日々是「SI」~白濱洋征のつぶやき~


        
         日々是「SI」…
                     ~白濱洋征のつぶやき~
夜間中学のこと   2021.2.15
2月3日、立春の日に夜間中学教師としてほぼ60年近く歩まれた見城慶和(けんじょうよしかず)先生からお手紙をいただきました。
「立春大吉日」と墨蹟も鮮やかな直筆のお札が同封されていました。
併せて「生きている 生かされている わが命 いとおしみつつ 陽光に立つ」
他全15首が「立春詠」として添えられていました。
見城先生は昭和36年から平成15年まで42年間、東京都内の3つの公立中学夜間部に勤務し退職後も自主夜間中学「えんぴつの会」を立ち上げ今もその活動を続けています。
山田洋次監督の映画『学校』で西田敏行が演じた主人公のモデルでもあります。83歳になられます。

「夜間中学は戦争で学ぶ機会を奪われた中高年、在日の人々、中国からの引き揚げ者、不登校等様々な理由で普通に学べなかった人々が年齢(10代から90代まで)、国籍に関係なく学んでいる学校です」
「通常の学校教育は学年ごとに教科書が決まっていてテストの点数で成績の序列が決まり、それによって高校、大学、企業に人材を送り出す機関になっています。一方の夜間中学は生徒の年齢も能力もバラバラなので本人の学習欲求に合わせて授業を行います。従って一人ひとりが自分を主張している学校であり、一人ひとりの生徒を輝かせていく学校なのです」
「夜間中学に嫌々通っている生徒は一人もいないと思っています。私も学校に行くことが楽しみでした。定年になるまで私はいつも電車から降りると学校まで走って通っていました。皆が待っていると思うと自然に走り出したくなるのです。」

先生が教えておられた荒川九中の卒業生の詩に次のような詩があります。
  学校
 学校は面白いところです
 学校は何でも教えてもらえるところです
 学校はちょっぴりつかれるところです
 学校は先生が親切です
 学校は一番いいところです
 学校は夢があるところです
 学校は宝物があるところです
 学校は勇気をつけられるところです
 学校は私たちのふるさとになるところです

夜間中学で学んだ生徒がいかに学校での学びが生き生きと充実したものであったか、生徒の一人ひとりがどんなに大事にされていたか、教師と生徒の間に響き合い、学び合いがあり、学ぶことのよろこびにあふれていたかが胸に迫ってきます。
本来学校はこの詩の通りのものであるはずです。
どこでどう間違ったのか現実の学校教育はあまりにも遠くかけ離れたものになりつつあります。
さて、学校という文字を幼稚園あるいは保育園に置き替えたらどうでしょうか。
(もちろん幼稚園は学校教育法による子どもが初めて出会う学校ですが)
私が40年来お世話になっている『SIあそび』実施園の理事長・園長先生そして先生方はこの詩のように気概に燃えて日々ご奮闘されている方々ばかりです。皆子どもたちの可能性を開くことに、子どもたちの心のふるさとづくりに全力で取り組んでおられます。実施園の子どもたちはこの詩と同じ思いで園生活を楽しんでいるはずです。幼児教育の現場と学校教育の断絶ともいえるような乖離に戸惑いつつ人間の基礎工事を担う私たちの仕事の大きさ、重さをあらためてかみしめた次第です。

マスク保育再考 2021.2.7
今朝の「朝日新聞グローブ」(The Asahi shimbun Globe)2月7日号に「顔の見方に文化差、マスクは子の発達に懸念も」と題して
山口真美中央大学文学部教授の、概要次のような論考が掲載されていました。
「東アジア人(日本人)の表情は目元、欧米人の表情は口元に出やすい」「多くのお欧米人がマスクに抵抗を感じるのは言葉が聞き取りにくくなる問題もあるが、やはり表情・感情が読み取れない気持ち悪さからだと思われる」「赤ちゃんは生まれつき、トップヘビーと呼ばれる両目と口の逆三角形に反応する。これを鋳型として顔を見る学習を重ね、文化差ができていく。もし、ずっとマスクをつけて口を隠したままの人に囲まれて育つと、顔を見つけられなくなるかもしれない。保育園では子ども同士はマスクをせずに接するのでお互いの顔を覚える。…今の子どもたちは同年代の顔は覚えても、外集団の人の顔、つまり大人の顔を覚えにくくなるかもしれない。私たちが見慣れない黒人の顔を区別しにくいのと同じだ」「言語獲得でも、健常な子どもは自閉症の子どもに比べて口元の動きに注目していた。口元がマスクで隠されると言語獲得にも支障が出るかも知れない」
山口教授は1歳未満の赤ちゃんの世界を見る能力の発達に関する研究を続けている方です。
先月の明和政子京都大学教授に続いて深く考えさせられる論考です。

ある調査報告が問いかけるもの 2021.2.3
「子どもに自信を持たせる」ことに自信があるか、OECD加盟国(31か国)を含む48か国の教師を対象にしたアンケートで「自信がある」と答えた日本の教師(中学校)は僅か23%で最下位(平均87%)という調査結果が、月刊『楽しい授業』2月合号に掲載されていました。
教師自身が自信がないのに子どもがどうして自信が持てるのだろうかと思います。
また同誌の記事で、他の調査国と比較して日本の中学校の授業では殆ど出されていない課題が4つあります。
その中で日本で最も出されていない課題はどれでしょうかという問いがありました。
<予想>
(1)最低でも完成までに1週間は必要な課題
(2)明らかな解決方が存在しない課題
(3)批判的に考える必要がある課題
(4)解く手順を生徒に判断させる課題
いかがでしょうか。
答えは、(3)批判的に考える必要がある課題です。
そうした課題をいつも出している日本の中学教師は12.6%(調査国平均61%)で最下位です。
上記の(1)は、日本は11.1%(2)16.1%(4)12.24%と、調査国中最下位か下から2番目となっています。
北海道の元高校教師丸山秀一氏は同誌で、日本の中学校では教科書という権威を無批判的に押しつけているだけのようだと述べています。
私どもは幼児期から自分の頭で答えを出すことを習慣化する教育実践を続けている訳ですが、幼児期に継いでそれをより伸ばしていく学校教育のあり方について深く考えさせられました。
考えることを教えるのが教育 2021.1.31
NHK交響楽団コンサートマスター篠崎史記さんが、昨夜ETVのスイッチインタビューで「解答を教えることが教育ではない。考えることを教えることが教育だ」とご自身のバイオリン教室や楽団員にいつも話しているとのことでした。
また同氏は「失敗はやり直せる、
しかし表現しようとすることや発想を止めてしまうとそれっきりになってしまう」とも述べていました。そして「夢があるから人生がある」というモーツァルトの言葉を指針にしているとも。

マスク保育に警鐘 2021.1.31
先日のNHK朝のラジオで認知科学者 明和(みょうわ)政子(京都大学大学院教育科学研究科)教授が保育者のマスク着用について注意を促していました。
コロナ禍でこのところ乳児の言葉の遅れが目立つようになったこと、また人見知りをしない子どもが増えたことにふれ、同教授はその要因が保育者のマスク着用にあるのではないかと述べていました。
赤ちゃんはお母さんのしぐさを真似することでそれも、全身全霊で情報を受け取り蓄えてことばを獲得していきます。お母さんの目、口元、笑顔をしっかり見つめ、ことばを聞き分けことばの根っこを育んでいくのです。聴覚障害者が相手の口元を見て言葉を解読していくのと同じです。
マスクは口元を隠してしまいます。目だけでは情報は伝わらないのです。
私はことばの遅れが気になる子どもの相談を受けた時に、必ず赤ちゃんの時に応答的環境があったかと質問します。
ことばは自分の思いを相手に伝えるためのツールです。伝えたい思いとそれを受け取る側の思いが響き合う、まさ心と心の伝え合いなのです。従って3~4か月位の間に大声で泣く、あやすと泣き止む、声を出して笑う、ほほ笑む等の感情表現があることがことばの獲得の大きな目安なのです。ことばの遅れが気になる子どもの場合、多くの親が「育てやすかった、手がかからなかった」(応答環境が少なかった)と振り返ります。
また、7~8か月頃に始まる「人見知り」は知らない人が来た「怖い」「不安だ」、母親(保護者)にしがみつき、抱かれることにって安心を得る、即ち母親を安心、安全の基地として選び取ったということなのです。
エリクソンはそれを基本的信頼感(ベーシックトラスト)と言いました。先述した多くの親が「人見知りがなかった」と言います。人生の初期に自分を無条件に守ってくれる人の存在は「自分を信じ人を信じる力」の土台になっていくのです。
眼差し,微笑、やさしさ、ぬくもり、顔の表情、声の調子、しぐさ、雰囲気、姿勢「メタ認知」と言われるこれらのことが、ことばの土台になっていることをしっかりとらえていきたいと思います。
フランス政府は専門家の提言を受けて、口元が見える透明のマスクを保育者に配布したと明和教授は述べていました。
(ちなみに0歳児保育はフランスや北欧など福祉の先進国ではやっていないか少ないのです)
コロナ感染症の完全予防と子どもの発達保障をしっかりふまえながらどう進めていくか、子どもの発達にとって不可欠なものをとらえ、対応を取捨選択していく、まさに私たちの創造的思考力がこれからますます試されて行くと思います。

いのちの大切さの教え方 2021.1.28
日本文化史研究家のパオロ・マッツァリーノさんが月刊『教職研修』2月号の「いのちの大切さの教え方」で「われわれはともするとカッコよく生きたいと願ってしまいます。そしてそれがかなわないと知った時みじめに生きるくらいならカッコよく死のうと考えてしまうのです」「自助、共助、公助なんてフレーズッは自分の力で何とかするのがカッコいいとする近代個人主義的価値観に染まり過ぎています。それこそが人間を追いつめるのです。そもそも子どもに自助なんかできっこないのだから、つらかったら逃げろ誰かにどんどん頼れ,カッコ悪く生きることを優先順位のトップに置こうじゃないか」と述べていました。
「いのちの大切さの考え方を変えてみよう」との提言です。
いろいろと考えさせられる論考でした。

子育ての要諦は「待つ」こと 2021.1.27
子育ての要諦は「待つ」ことにあります。
昨年3~5月全国一斉休校で幼稚園が休園になった時に近くに住む
4歳の孫(年中児)と毎日のように1日中遊びましたがその思いを一層強くしました。子どもは1日中遊べるし飽きることを知らない、疲れることを知らない。そしてかならず、できるようになる。いつできるかは子ども自身が決める。
親や教師が他の子と比較して手を出したり、一方的に教え込んだりするので、やる気の芽を摘み取ってしまうのです。
「子育ては子どもを愛し、余計な手出しや口出しをせず、人の役に立つ喜びを教えてあげる」ことだとつくづく思います。
そのためには育てる側(親)に大きな見通しと心の余裕がなければなりません。
この10年殆どの母親が働くようになりました。そしてその環境がその日の生活に追われるようになると、どうしても待つ余裕がなくなる。余裕どころかそのストレスを子どもに向けてしまう。
虐待の増加にしろ、そうした追いつめられた親が子どもを逆に追い詰めて行くのだと思います。子育てはヒトがひとになっていく過程。母と子が共に育ちあう営みですが、本来楽しくて充実した仕事のはずです。それを苦役におとしめてしまってつらい仕事にしてしまったのです。
「子どもが親にしてほしいこと、してほしくないこと」と題する本を目下執筆中です。子育てって本当に楽しいんだ、母子でこんなこともできる、あんなこともできる、もっと子育てを楽しもうという本です。

音楽家バレンボイムの言葉から 2021.1.25
「コロナ以前の日常には、『私たちはなせ生きているのか』と言った哲学的な問いを自分に向ける機会がなかった。今は誰もが自分で考え、自分で答えを見つけるしかないことを知っている。そうした精神の世界はすでに答えが用意されている宗教とは本質的に異なる。
多様な見方を自ら創出するのが芸術であり、創造という精神の営みを続けることこそが、コロナ禍を超えて人類を存続させるために不可欠なのです。」(指揮者、ピアニスト ダニエル・バレンボイム:朝日新聞2021.1.23)
「SIあそび」を通じて子どもたちに伝えたい理念です。強く勇気づけられました

子どもたちの未来は危機的状況 2021.1.25
昨年10月23日の朝日新聞は、2019年度全国の小中学校の82.6%で約61万件のいじめがあり、特に小中学生では5年前に比較して18万人で過去最多、高校生の不登校は5万人、児童生徒の自殺は317人で前年度に続いて300人を超えたと報じていました。
同時に貧困率は13.1% 子どもの7人に1人が貧困状態にあり、虐待の相談件数は9万8000件(昨年上半期)コロナ禍以前の数字ですから分断と格差は一層加速されたと言えます。現に先日の報道によると児童生徒の自殺は440人を超えていました。
子どもたちの未来は今や危機的状況にあると言ってよいと思います。
保育と言う仕事は子どものいのちを守り育てることに加えて、そのいのちに輝きを与えてあげる仕事です。
あらためて私たちが担うべき仕事の大きさ、重さを覚えます。
子どものいのちが光り輝くために私たちが何をすべきか、お互いに知恵を出し合わなければならない時が来ました。
                     
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